50歳の女性。夜間に息苦しさを訴え気管支拡張薬を吸入するが症状が軽減しないため救急要請となった。
救急隊到着時観察所見:意識JCS1。呼吸数24/分。脈拍92/分、整。血圧180/92㎜Hg。
SpO2値92%。肥満(身長150cm、体重80㎏)があり、高血圧と気管支喘息とのため近医に通院中とのことである。
搬送中に適切な体位はどれか。1つ選べ。
1. 仰臥位
2. 起坐位
3. 側臥位
4. 頭部高位
5. 足側高位
【問題の概要と重要ポイント】
本問題は、夜間に呼吸困難を訴える50歳の女性に関する事例です。患者は気管支拡張薬を自己吸入したものの症状が改善せず、救急要請に至りました。
- 患者情報と主訴の要約
- 患者: 50歳の女性。
- 主訴: 夜間の息苦しさ。
- 発症状況: 気管支拡張薬の吸入で症状が軽減しない。この事実は、患者の喘息発作が通常の自己管理の範囲を超えており、重症である可能性を示唆しています。気管支拡張薬(通常は短時間作用性β2刺激薬:SABA)が効果を示さない場合、気管支の攣縮が非常に強いか、気道の炎症や浮腫、あるいは気道内分泌物による閉塞が著しいと考えられ、より積極的な治療介入が必要な状態と判断できます。
- 救急隊到着時所見の要点
- 意識レベル: JCS (Japan Coma Scale) 1。これは「刺激すると覚醒する」状態、あるいは「意識清明とは言えないが、ほぼ清明に近い」状態を示します。著しい呼吸困難を呈する患者においてJCS 1であることは、低酸素血症や高炭酸ガス血症による中枢神経系の影響、あるいは呼吸努力による極度の疲労の初期兆候である可能性があり、注意深い観察が必要です。「JCS 0 – 意識清明」からの逸脱は、患者の代償機構が限界に近いことを示唆する警告サインと捉えるべきです。
- 呼吸数: 24回/分。これは頻呼吸であり、ガス交換の障害や死腔の増大を補うための代償反応として、呼吸仕事量が増大していることを示す客観的な兆候です。成人の正常呼吸数は12~20回/分であり、これを上回っています。
- 脈拍: 92回/分、整。軽度の頻脈です。低酸素血症、呼吸仕事量の増大、不安、あるいは先行して使用した気管支拡張薬の副作用などが原因として考えられます。呼吸困難時には交感神経系が賦活化され、心拍数が増加して組織への酸素供給を維持しようとします。
- 血圧: 180/92 mmHg。著しい高血圧です。既往歴にある高血圧症の急性増悪、あるいは喘息発作による急性のストレス、苦痛、低酸素血症に対する生理的反応(カテコラミン放出による血管収縮と心拍出量増加)である可能性があります。
- SpO2値: 92%(室内気)。これは軽度の低酸素血症を示します。頻呼吸にもかかわらず酸素飽和度が正常値を維持できていないことは、ガス交換が著しく障害されていることを意味します。喘息発作に特徴的な換気血流比(V/Q比)の不均衡が生じていると考えられます。
- 身体所見: 肥満(身長150cm、体重80kg)。BMI (Body Mass Index) は 80÷(1.5)2=35.55…kg/m2 となり、肥満(2度)に該当します。肥満は呼吸困難を複雑化させる重要な因子です。胸郭コンプライアンスの低下、機能的残気量(FRC)の減少、呼吸仕事量の増大を引き起こし、万が一の気道確保を困難にする可能性もあります。過剰な脂肪組織が胸郭や腹部に存在すると、肺の拡張や横隔膜の運動が物理的に制限され、特に喘息で既に呼吸機能が低下している患者にとっては、呼吸が一層困難になります。
- 既往歴: 高血圧と気管支喘息のため近医に通院中。これは、今回の呼吸困難が気管支喘息の増悪である可能性が高いことを裏付け、高血圧の所見にも背景を与えます。「通院中」であることから、両疾患に対して何らかの治療薬が処方されていると推測されます。
- 問題の核心
この問題は、気管支喘息発作による呼吸困難を呈する患者に対し、生理学的根拠に基づいた最適な搬送体位を選択する能力を問うています。
具体的には、患者の呼吸メカニズムを補助し、換気効率を最大化し、心臓への負担を軽減する体位は何かを判断することが求められています。この問いは、単に疾患と体位を暗記しているかではなく、なぜその体位が適切なのかを理解しているかを試すものです。患者の様々な情報(呼吸困難、喘息、肥満、バイタルサイン)を統合し、基本的な生理学的原則を救急現場での実践的な判断に応用する能力が試されています。
【正解の根拠と詳細解説】
- 正解選択肢: 2. 起坐位
- なぜ起坐位が正しいのか
起坐位(きざい)は、座位または上半身をほぼ垂直に起こした体位であり、呼吸困難を呈する患者にとって最も効果的な体位の一つです。その理由は以下の通りです。
- 呼吸メカニズムの最適化
- 横隔膜の運動効率向上: 起坐位では、重力によって腹腔内臓器が下方に移動し、横隔膜が下降しやすくなります。これにより、横隔膜の収縮効率が高まり、一回換気量の増加が期待できます。本症例の患者はBMI 35.5と肥満であり、特に体幹部の肥満がある場合、仰臥位では腹腔内臓器が横隔膜を著しく押し上げ、その運動を大きく制限します。起坐位は、この肥満による不利な影響を直接的に軽減する効果があります。肥満患者においては、起坐位による横隔膜運動の補助効果は、非肥満患者よりもさらに顕著となります。
- 呼吸補助筋の使用効率向上: 喘息発作時には、患者は努力呼吸を行い、頸部や肩の呼吸補助筋(胸鎖乳突筋、斜角筋、僧帽筋など)を動員して胸郭を引き上げようとします。起坐位は、これらの筋肉が最も効率的に機能する体位です。患者がわずかに前傾姿勢をとることで(ファーラー位や起坐位の自然な形)、さらにこれらの筋肉による胸郭の挙上が助けられ、呼吸仕事量の軽減に繋がります。本症例の患者の頻呼吸(24回/分)と「息苦しさ」の訴えは、呼吸仕事量の増大と呼吸補助筋の使用を示唆しています。
- 肺容量の増加: 起坐位は、機能的残気量(FRC)や肺活量(VC)を増加させる傾向があります。FRCは呼気終末時の肺内ガス量であり、これが維持されることで肺胞の虚脱を防ぎ、ガス交換面積を保つ上で重要です。喘息では末梢気道の閉塞によりFRCが低下することがあり、FRCを増加させる体位は、呼気時の気道開放を助け、酸素化を改善する可能性があります。
- 換気血流比(V/Q比)の改善
起坐位では、重力の影響で肺下葉への血流が比較的良好に保たれます。同時に、横隔膜の動きが改善することで肺底部への換気も促進されます。これにより、換気と血流のバランス(V/Q比)がより均等化され、ガス交換効率が向上する可能性があります。本症例のSpO2 92%という値は、V/Qミスマッチの存在を示唆しており、体位による改善が期待されます。仰臥位では背側の肺が圧迫されて換気が不十分になりやすいのに対し、起坐位ではより生理的な換気血流分布に近づきます。 - 心臓への負担軽減
起坐位は、下肢からの静脈還流量を減少させる効果があり、心臓への前負荷を軽減します。これにより、特に右心系の負担が軽減される可能性があります。喘息発作による低酸素血症や努力呼吸は心臓にも大きな負担をかけるため、この効果は重要です。本症例の患者は高血圧(180/92 mmHg)と軽度の頻脈(92回/分)を呈しており、循環器系へのストレスが増大していることが伺えます。前負荷の軽減は、直接的な呼吸器系の問題解決にはなりませんが、全身の生理的ストレスを軽減する上で間接的に有益です。 - 患者の主観的安楽と不安の軽減
呼吸困難を抱える患者は、本能的に最も呼吸が楽な体位(起坐呼吸:orthopnea)をとろうとします。この体位を維持することは、患者の不安を軽減し、呼吸パターンの安定にも寄与します。患者中心のケアという観点からも、生理学的に理にかなった安楽な体位を提供することは重要です。
- 問題文中の着目すべきキーワードと数値
- 「息苦しさ」「気管支喘息」「気管支拡張薬吸入するが症状軽減しない」:これらは重症の喘息発作を示唆し、呼吸仕事量の増大とガス交換障害が起きていることを示します。
- 「肥満」:呼吸メカニクスへの負荷増大を意味し、体位選択の重要性を高めます。横隔膜の運動が制限されやすいため、これを解除する体位が求められます。
- 「呼吸数24/分」「SpO2値92%」:これらは呼吸窮迫の客観的な証拠であり、換気効率の改善が急務であることを示しています。
- これらの情報全てが、呼吸を最も楽にし、換気効率を上げる「起坐位」の選択を強く支持します。
- 関連する病態生理・ガイドライン
- 喘息の病態生理: 気道の慢性炎症、気道過敏性の亢進、可逆性の気道狭窄(気管支平滑筋の攣縮、気道粘膜の浮腫、気道内分泌物の過多・粘稠化)が特徴です。発作時にはこれらの要素が急激に悪化し、広範な気流閉塞を引き起こします。
- 起坐呼吸: 呼吸困難のために臥位(横になった状態)を保てず、坐位または半坐位でないと呼吸ができない状態を指します。心不全や重症呼吸器疾患(喘息、COPDなど)で典型的に見られます。本症例の患者はまさにこの状態にある可能性が高いと考えられます。
- 救急蘇生法の指針(例:JRC蘇生ガイドライン): 一般的に、呼吸困難を訴える患者には、本人が最も楽な体位をとらせることが推奨されます。多くの場合、それは座位またはセミファーラー位(半坐位)であり、起坐位はこれに合致するものです。
【各不正解選択肢の解説】
以下に、各不正解選択肢がなぜ適切でないのかを解説します。比較のために、体位と呼吸メカニクスへの影響をまとめた表も参考にしてください。
体位 | 横隔膜運動 | 肺容量 (FRC等) | 呼吸仕事量 | V/Q適合 | 呼吸困難時備考 |
仰臥位 | 著しく制限 | 減少 | 増大 | 悪化傾向 | 喘息・肥満では特に不適 |
起坐位 | 改善 | 増大傾向 | 軽減 | 改善傾向 | 呼吸困難時の推奨体位 |
側臥位 | 不均等/やや制限 | 変化あり | 変化あり/増大可能性 | 不均等化の可能性 | 誤嚥リスク時に考慮 |
頭部高位 | やや改善 | やや増大傾向 | やや軽減 | やや改善傾向 | 起坐位より効果は限定的 |
足側高位 | 著しく制限 | 著しく減少 | 著しく増大 | 著しく悪化 | 呼吸困難時には禁忌 |
- (選択肢1):仰臥位
- なぜ誤りか:
- 横隔膜運動の制限: 仰臥位では腹腔内臓器が横隔膜を押し上げ、その運動を著しく妨げます。特に本症例のような肥満患者(BMI 35.5)ではこの影響が顕著で、一回換気量が減少し、呼吸仕事量が増大します。これにより、ただでさえ苦しい呼吸がさらに困難になります。
- 肺容量の減少: 仰臥位は機能的残気量(FRC)を減少させ、肺の虚脱(無気肺)のリスクを高めます。これはガス交換効率をさらに悪化させます。
- 気道分泌物の貯留: 喘息発作では気道分泌物が増加することがあり、仰臥位ではこれらの喀出が困難になり、気道閉塞を助長する可能性があります。
- 患者の苦痛増悪: 呼吸困難のある患者にとって、仰臥位は極めて苦痛であり、不安を増強させ、呼吸状態をさらに悪化させる可能性があります。
- 正解となり得る状況:
- 脊髄損傷が強く疑われ、体幹の固定が最優先される場合(ただし、気道確保と呼吸管理が常に優先されます)。
- 心肺停止状態での心肺蘇生処置時。
- ショックが進行し、著しい低血圧で血圧維持が困難な場合(ただし、呼吸不全が主たる問題であれば、呼吸状態を悪化させるため慎重な判断が必要です)。本症例ではこれらの状況には該当しません。
- (選択肢3):側臥位
- なぜ誤りか:
- 片肺換気の不均衡: 側臥位では、下側になった肺(dependent lung)は胸郭や腹腔内容によって圧迫されやすく、上側になった肺(non-dependent lung)は過膨張しやすくなることがあります。血流は重力により下側の肺に多く分布するため、換気と血流のバランス(V/Q比)のミスマッチが悪化する可能性があります。
- 呼吸仕事量の増加の可能性: 体幹の安定性が低下し、呼吸補助筋が効率的に働きにくい場合があります。
- 肥満患者への影響: 肥満患者では、下側の肺への圧迫がより強くなり、換気がさらに障害される可能性があります。
- 正解となり得る状況:
- 意識障害があり、嘔吐のリスクが高い場合(誤嚥防止のための回復体位として)。
- 片側性の肺疾患(例:大量の胸水、片側性肺炎、無気肺)で、健側肺を下にする「健側下側臥位」が治療的に選択される場合がある(ただし、これは専門的な判断を要し、喘息発作の標準的な対応ではありません)。
- 本症例ではJCS 1であり、意識レベルの低下による誤嚥リスクは現時点では限定的であり、両側性の気道狭窄である喘息発作が主たる問題です。
- (選択肢4):頭部高位
- なぜ誤りか:
- 不十分な効果: 単に頭部を高くするだけ(例:枕を一つ高くする程度)では、起坐位ほど横隔膜の運動を効果的に助けず、呼吸補助筋の効率的な使用も十分に促せません。ファーラー位(Fowler’s position、体幹を45~60度挙上)やセミファーラー位(Semi-Fowler’s position、体幹を30~45度挙上)であればある程度の効果は期待できますが、選択肢の「頭部高位」という表現は、これらの明確な体幹挙上を示唆しているとは限らず、起坐位(通常、体幹をほぼ90度挙上、あるいは前傾)の効果には及びません。
- 起坐位との比較: 患者が自力で座位を保持できる、あるいは介助によって座位を保持できる状態であれば、より効果の高い起坐位が優先されます。本症例の患者はJCS 1であり、他者からの指示を理解し、ある程度の体位保持は可能と判断されるため、より積極的な呼吸補助効果のある起坐位が適切です。
- 正解となり得る状況:
- 患者が完全に座位を保てない場合(例:極度の衰弱、意識レベルのさらなる低下)や、長時間の搬送で疲労が予想される場合の次善の策としてセミファーラー位。
- 頭部外傷や脳圧亢進が疑われる場合(ただし、これも状況に応じて他の体位との兼ね合いを考慮します)。
- 本症例では、より呼吸仕事量を軽減し、換気効率を高める効果が期待できる起坐位が最適と考えられます。
- (選択肢5):足側高位
- なぜ誤りか:
- 呼吸状態の著しい悪化: 足側を高くする体位(トレンデレンブルグ体位に類似)では、腹腔内臓器が横隔膜をさらに強く頭側に圧迫し、肺の拡張を著しく妨げ、呼吸を極めて困難にします。これは呼吸困難のある患者、特に喘息患者や肥満患者には禁忌に近い体位です。
- 心臓への前負荷増大: 下肢からの静脈還流量が増加し、心臓への前負荷が増大します。これは既に高血圧(180/92 mmHg)で心臓に負担がかかっている本症例には不適切であり、心不全を誘発・増悪させるリスクもあります。
- 脳圧上昇のリスク: 頭部が相対的に下がることで脳圧が上昇する可能性もあります。
- 正解となり得る状況:
- 一部のショック状態(例:出血性ショックで血圧が極端に低い場合)で、他に有効な手段がない場合の古典的な対応として議論されることがありましたが、その有効性については議論があり、特に呼吸困難を伴う場合には避けるべきとされています。
- 本症例では血圧はむしろ高く、呼吸困難が主たる問題であるため、完全に不適切です。
【本症例における判断のポイントと関連知識】
- 思考プロセスと判断の分岐点
救急現場でこの症例に遭遇した場合、以下のような思考プロセスで判断を進めることが重要です。
- 状況認識: 患者は50歳女性、既往に気管支喘息と高血圧。夜間に息苦しさが出現し、自己の気管支拡張薬吸入では改善が見られない。この「吸入薬無効」は重症度の高い発作である可能性を示唆する重要な情報です。
- 主要な問題の特定: 主訴と既往歴、バイタルサイン(頻呼吸、SpO2 92%)から、気管支喘息の急性増悪による気道狭窄とそれに伴う換気障害、ガス交換不良が主要な問題であると判断します。
- 即時介入の必要性の判断: 患者は明らかな呼吸困難を呈しており、迅速な介入が必要です。体位管理は、最も迅速かつ非侵襲的に行える初期介入の一つです。
- 体位選択の原則想起: 呼吸を楽にする体位とは何か?横隔膜の動きを助け、呼吸補助筋を有効に活用でき、肺容量を最大化する体位は何か、という生理学的な原則を想起します。
- 患者背景の考慮: 患者の「肥満」という情報は、呼吸メカニクスにおいて不利な条件です。腹腔内圧が横隔膜を押し上げやすく、肺の拡張を妨げるため、この不利な条件を軽減する体位がより重要となります。仰臥位は肥満による呼吸制限を増悪させ、起坐位はこれを軽減します。
- 各選択肢の評価と除外:
- 仰臥位、足側高位:これらは明らかに呼吸状態を悪化させるため、即座に除外します。
- 側臥位:喘息発作の積極的な改善には繋がらず、現時点で誤嚥リスクも高くないため優先度は低いと判断します。
- 頭部高位:起坐位と比較して効果が限定的です。患者が起坐位を取れる状態であれば、起坐位が優先されます。
- 最適な選択肢の決定: 上記の検討から、起坐位が最も生理学的に理にかなっており、患者の呼吸状態を改善させる可能性が最も高いと結論付けます。
- 救急現場活動における重要事項
この症例の搬送中に考慮すべき重要な観察項目、評価項目、処置は以下の通りです。
- 継続的なバイタルサイン監視と再評価: SpO2、呼吸数・深さ・様式、脈拍数・リズム、血圧、意識レベルを頻回に再評価します。特に体位変更後や何らかの処置(酸素投与、薬剤投与など)の前後には、その効果と状態変化を注意深く観察します。体位変更によってSpO2が改善したか、呼吸数が落ち着いたか、患者の自覚症状は軽減したかなどを確認するフィードバックループが重要です。
- 酸素投与: SpO2 92%は酸素投与の明確な適応です。鼻カニューレまたは酸素マスクを使用し、目標SpO2(通常は94~98%)を維持するように流量を調節します。
- 気管支拡張薬の投与: 救急救命士の活動プロトコルに基づき、ネブライザーによるβ2刺激薬の吸入を考慮します。患者は既に自己吸入を行っていますが効果が不十分であるため、医療機関での指示のもと、より高用量または持続的な投与、あるいは異なる作用機序の薬剤(抗コリン薬など)の併用が必要となる場合があります。
- 必要に応じた気道確保準備: 患者の状態が悪化し、意識レベルのさらなる低下(例:JCS 2桁以上へ移行)、呼吸パターンの異常(例:徐呼吸、無呼吸)、あるいは呼吸停止に至る可能性も念頭に置き、バッグバルブマスク、喉頭鏡、気管チューブ、吸引器などの気道確保器具を速やかに使用できるよう準備しておきます。JCS 1および難治性の呼吸困難は、状態悪化のリスクが高いことを意味します。
- 医療機関への早期連絡と情報提供(プレアラー卜): 患者の年齢、性別、主訴、現病歴、既往歴、バイタルサイン、救急隊の評価と実施した処置、予想される重症度(例:「気管支喘息重積状態の疑い」「肥満あり、呼吸管理に難渋の可能性」など)を具体的かつ簡潔に伝え、受け入れ準備を促します。
- 静脈路確保の考慮: 重症の喘息発作の場合、ステロイド薬や硫酸マグネシウムなどの薬剤投与が必要となることがあるため、早期の静脈路確保が望ましいです。
- 倫理的配慮と安全管理
- 患者の意思の尊重と説明(インフォームド・コンセント): 可能な範囲で、患者にこれから行う処置や体位について説明し、理解と協力を得ます。基本的には患者が最も楽だと感じる体位を優先しますが、医学的に不適切な場合(例:患者が苦しくても横になりたがる場合など)はその理由を丁寧に説明し、より適切な体位を勧めます。
- 安全な搬送: 起坐位を維持しつつ、ストレッチャー上で患者が安定し、車両の揺れや急ブレーキ、カーブなどで体勢が崩れたり転落したりしないよう、ベルトなどで適切に固定します。
- 感染防御: 喘息発作はウイルス感染などが誘因となることもあるため、標準予防策(手指衛生、必要に応じたマスク・手袋・ガウンの着用など)を遵守します。
- チームの安全(隊員の身体保護): 患者の体重は80kgであり、ストレッチャーへの移乗や階段昇降などの際には、適切な介助技術(ボディメカニクス)を用い、救急隊員自身の腰痛等を予防します。患者の体重は、患者自身の生理学的因子であると同時に、救急隊にとっては実践的な安全管理上の考慮事項となります。
【学習の要点と応用】
- 不可欠な医学的知識・プロトコル
この問題を正しく解き、同様の症例に適切に対応するためには、以下の知識・プロトコルが不可欠です。
- 気管支喘息の病態生理と重症度評価: 発作のメカニズム(気道炎症、気管支攣縮、気道浮腫、分泌物増加)、増悪因子、バイタルサインや症状(特に呼吸困難の程度、チアノーゼの有無、意識レベル、会話の可否、SpO2値、ピークフロー値など)からの重症度判断基準を理解する。「症状が軽減しない」という情報が重症度を示唆することを認識することが重要です。
- 呼吸困難患者への初期対応(ABCDEアプローチ): 気道(Airway)、呼吸(Breathing)、循環(Circulation)、意識障害(Disability)、環境・体温(Exposure/Environment)の順に評価し、生命を脅かす状態に迅速に対処する原則を徹底します。特にAとBの評価と介入が優先されます。
- 体位管理の生理学的根拠: 各体位が呼吸循環動態に与える影響(特に横隔膜の位置と運動、肺容量、換気血流比、静脈還流量)を理解し、起坐位(ファーラー位、セミファーラー位を含む)の適応と禁忌を把握します。
- 肥満が呼吸器系に与える影響: 機能的残気量(FRC)の減少、胸郭・肺コンプライアンスの低下、呼吸仕事量の増大、睡眠時無呼吸症候群との関連などを理解し、肥満患者の呼吸困難はより慎重な対応が必要であることを認識します。
- 救急救命士による喘息治療プロトコル: 地域や所属機関のプロトコルに基づいた酸素投与基準、β2刺激薬吸入の適応と方法、必要に応じたステロイド投与の考慮(医師の具体的指示下)、気管挿管の判断基準などを習熟します。
- さらなる学習と応用
この問題を通じて得られた知識をさらに深め、応用するためには以下の点が考えられます。 - 発展学習領域:
- 喘息重積状態(Status Asthmaticus): 定義、診断基準、通常の治療に反応しない場合のより積極的な治療法(例:アドレナリン皮下注射、硫酸マグネシウム静脈注射、非侵襲的陽圧換気(NPPV)の適応と禁忌、気管挿管と人工呼吸管理)。
- 鑑別診断: 高齢者や複数の基礎疾患を持つ患者の呼吸困難では、心不全(特に左心不全による肺水腫、いわゆる心臓喘息)、慢性閉塞性肺疾患(COPD)の急性増悪、肺血栓塞栓症(エコノミークラス症候群)なども念頭に置く必要があります(本問題では気管支喘息と明示されていますが、実臨床では鑑別が重要となる場面が多くあります)。
- JCS以外の意識レベル評価: GCS(Glasgow Coma Scale)との比較やその評価方法、迅速評価に用いられるAVPUスケールなど、他の意識レベル評価法も理解しておくことで、より多角的な評価が可能になります。
- カプノグラフィ(呼気終末二酸化炭素濃度測定): 終末呼気二酸化炭素分圧(EtCO2)の波形と数値は、換気状態の評価(換気量、死腔換気など)や気管支攣縮の重症度評価、気管挿管の確認、心肺蘇生中の循環状態の指標として非常に有用です。
- 知識の応用:
- 類似症例への応用: 心不全による呼吸困難(起坐呼吸が特徴的)、COPD急性増悪、重症肺炎など、他の呼吸窮迫を呈する疾患においても、体位管理の原則(呼吸メカニクスの補助、V/Q比の改善)は共通する部分が多く、応用が可能です。
- 小児の喘息発作: 小児は成人と比較して呼吸予備力が低く、急速に呼吸状態が悪化しやすい特徴があります。体位の工夫(例:苦しがる場合は無理強いせず、保護者に抱っこしてもらい、安心できる体勢で座位を保つなど)も重要です。
- シナリオ訓練での活用: 本症例のようなケースを想定したシミュレーション訓練を通じて、病態把握、アセスメント、優先順位の判断、処置の選択と実施、チーム内連携(他の隊員や医師との連携)を繰り返し練習することが実践能力の向上に繋がります。特に、状態変化(例:SpO2がさらに低下、意識レベルが悪化、呼吸停止)に応じた対応を訓練することが重要です。
- コミュニケーション: 患者や家族への丁寧な説明と、安心感を与えるようなコミュニケーションも救急救命士の重要なスキルです。なぜその体位が良いのか、これから何を行うのかを分かりやすく説明することで、患者の不安を和らげ、信頼関係の構築に繋がります。