52歳の男性。糖尿病で治療中である。胸痛を訴え倒れたため、同僚が救急要請した。
救急隊到着時、心肺停止状態。前額部の挫創と右前腕の変形とを認めた。心電図モニターは心室細動であり電気ショックにより、現場で心拍再開した。搬送先医療機関として三次救急医療機関を選定した。
医療機関の救急外来で救急科の医師とともに、直ちに診療を行うことが想定される診療科はどれか。1つ選べ。
1. 麻酔科
2. 整形外科
3. 循環器内科
4. 脳神経外科
5. 内分泌代謝・糖尿病内科
【問題の概要と重要ポイント】
- 問題の状況設定のまとめ
本症例は、52歳の男性が関わる事案です。患者は基礎疾患として糖尿病で治療中であり、胸痛を訴えて倒れたところを同僚が発見し、救急要請しました。救急隊到着時、患者は心肺停止状態でした。身体所見として、前額部に挫創、右前腕に変形が認められました。心電図モニターでは心室細動(VF)が確認され、救急隊による電気ショックが実施された結果、現場で心拍が再開(ROSC: Return of Spontaneous Circulation)しました。搬送先として三次救急医療機関が選定されています。 - 問題の核心
この問題は、心肺停止から蘇生された患者の救急外来における初期診療において、生命予後を左右する根本原因の診断と治療に最も優先的に関与すべき専門診療科を、病態と救急医療システムへの理解に基づいて判断することを求めています。特に、心停止の原因として最も可能性の高い病態を推測し、その治療を専門とする診療科を選択する能力が試されています。
本症例では、(1)胸痛という前駆症状、(2)糖尿病という心血管系疾患の重要な危険因子、そして(3)心室細動(VF)による心停止という3つの要素が揃っており、これらは急性冠症候群(ACS)、特に急性心筋梗塞(AMI)が心停止の根本原因であることを強く示唆しています。胸痛は心筋虚血の典型的な症状であり、糖尿病は動脈硬化を促進しACSのリスクを高めます。そして、VFはAMIの際に発生しやすい致死性の不整脈です。これらの情報から、心臓に主たる原因がある可能性が高いと考えることが、適切な判断への第一歩となります。
現場で心拍が再開したという事実は、救急隊の迅速かつ適切な処置の成果であり、患者にとって好ましい要素です。しかし、これは同時に、心肺蘇生から次の段階、すなわち心停止の根本原因の特定と治療、そして心拍再開後症候群(Post-Cardiac Arrest Syndrome: PCAS)の管理へと医療の焦点が移行することを意味します。この段階で、どの専門診療科と連携するかが、その後の患者の転帰に大きく影響するため、極めて重要な判断となります。
さらに、搬送先として三次救急医療機関が選定されたという情報も重要です。三次救急医療機関は、経皮的冠動脈インターベンション(PCI)のような高度な専門治療を提供する能力を有しています。この選定自体が、心臓カテーテル治療など、特定の専門的介入が必要となる可能性を予期していることを示唆しており、受験者はこの背景も考慮に入れる必要があります。
【正解の根拠と詳細解説】
指定された正解は「3. 循環器内科」です。この選択肢が正しい理由を、問題文の情報と医学的知識、救急活動の原則に基づいて詳細に解説します。
- 循環器内科が正解である論理的根拠
本症例の患者は、「胸痛」を前駆症状として心肺停止に至り、心電図波形が「心室細動(VF)」であったことから、最も疑われる心停止の原因は急性冠症候群(ACS)、特に急性心筋梗塞(AMI)です。心室細動は、心筋虚血に伴う致死性不整脈として代表的であり、心筋梗塞がその主要な原因の一つとされています 1。また、患者は「糖尿病で治療中」であり、糖尿病はACSの重要な危険因子です。この背景も、心原性心停止の可能性を支持します 3。
現場での電気ショックにより心拍が再開(ROSC)した後、最も重要なことは、心停止の根本原因である可能性が高い冠動脈の閉塞や高度狭窄を迅速に評価し、必要に応じて経皮的冠動脈インターベンション(PCI)などの血行再建術を緊急に行うことです。これにより、心筋のダメージを最小限に抑え、救命率の向上と心機能の温存が期待できます。これらの専門的な診断(心臓カテーテル検査など)と治療(PCIなど)を主導するのが循環器内科医です。
JRC蘇生ガイドライン2020においても、心原性が疑われる院外心停止でROSCした成人患者、特に12誘導心電図でST上昇を認める場合には、緊急冠動脈造影(CAG)による評価と適応に応じたPCIが強く推奨されています 4。本症例ではROSC後の12誘導心電図所見は問題文に記載されていませんが、VFの原因としてACSが強く疑われるため、この推奨に該当する可能性が高いと考えられます。ST上昇を認めない場合でも、心原性が疑われ昏睡状態の限られた成人患者においては、緊急的あるいは待機的にCAGで評価し、適応に応じてPCIを行うことのいずれも合理的であると提案されています 4。このことからも、循環器内科の早期介入の重要性がわかります。 - 着目すべき問題文中のキーワードと正解への結びつき
- 「胸痛」: 急性冠症候群(心筋梗塞や不安定狭心症)の典型的な症状であり、心原性の心停止を示唆する最も重要な手がかりです。この情報から、心臓の問題を第一に考えるべきです。
- 「糖尿病で治療中」: 急性冠症候群の強力なリスクファクターです。糖尿病患者では、心筋梗塞が非典型的な症状で発症することや、無痛性のこともありますが、本症例では典型的な胸痛が先行しています。
- 「心室細動(VF)」: 心筋梗塞などの急性心筋虚血によって誘発される最も一般的な致死性不整脈です。VFに対する治療は電気ショックですが、その根本原因の治療が予後改善には不可欠です 1。
- 「電気ショックにより、現場で心拍再開」: VFに対する電気ショックの有効性を示し、蘇生に成功したことを意味します。心拍再開後は、VFの原因検索と治療、そして心拍再開後ケア(例:体温管理療法 5)が治療の焦点となります。
- 「三次救急医療機関を選定」: 緊急PCIなどの高度な医療介入が可能な施設への搬送を示唆しており、循環器内科による専門的治療を念頭に置いた判断であることを裏付けています。
- 関連する病態生理、ガイドライン
- 急性冠症候群(ACS): 冠動脈内のアテローム性プラークが破綻し、血栓が形成されることによって冠動脈の血流が急激に低下または途絶する病態の総称です。これにより心筋への酸素供給が不足し、心筋虚血が生じます。虚血が一定時間以上続くと心筋は壊死に至り(急性心筋梗塞)、心機能の低下や致死性不整脈(心室細動など)を引き起こす可能性があります。
- 心室細動(VF)の発生機序: 心筋虚血は、心筋細胞の電気的な安定性を著しく損ないます。イオンチャネルの機能異常や細胞間の電気的結合の変化などが起こり、心室内に無秩序で高頻度の電気興奮が多発的に発生する状態が心室細動です。この状態では、心室は有効なポンプ機能を失い、血液を全身に送り出すことができなくなるため、速やかに治療されなければ死に至ります。
- JRC蘇生ガイドライン2020: 心停止および心拍再開後の治療に関する標準的な指針です。特に、心原性が疑われる院外心停止でROSCした患者に対する12誘導心電図の早期記録と評価、そしてST上昇を認める場合には緊急CAGおよびPCIを強く推奨しています 4。ST上昇がない場合でも、心原性が強く疑われる場合にはCAG/PCIを考慮することが示唆されています 4。
- 急性冠症候群診療ガイドライン: 日本循環器学会などが策定しており、ACSの診断基準、リスク層別化、治療戦略(薬物療法、血行再建術など)について詳細に規定しています 3。これらのガイドラインは、迅速な再灌流療法の重要性を一貫して強調しています。
「Time is Muscle」(時間は心筋なり)という言葉が示すように、急性心筋梗塞の治療においては、閉塞した冠動脈の血流をいかに早く再開通させるかが、心筋壊死の範囲を縮小し、その後の心機能や生命予後を改善する上で決定的に重要です。心室細動という重篤な不整脈が発生した本症例では、その背景にある心筋虚血は広範囲かつ高度である可能性が高く、一刻も早い循環器内科医による評価と介入(PCIなど)が求められます。救急外来の医師は、患者の全身状態の安定化を図りつつ、速やかに循環器内科医と連携し、心臓カテーテル室での治療準備を進める必要があります。これが、本問題において循環器内科が「直ちに診療を行うことが想定される診療科」として最も適切である理由です。
【各不正解選択肢の解説】
- (選択肢1):麻酔科
- なぜ誤りか: 麻酔科医は、手術中の麻酔管理や、集中治療室(ICU)での重症患者の全身管理(人工呼吸器管理、循環作動薬の調整、鎮静など)を専門とします。心拍再開後の患者において、気道確保が困難な場合、高度な呼吸循環管理が必要な場合、あるいはJRC蘇生ガイドラインでも推奨されている体温管理療法(TTM)の導入・管理 5 などで麻酔科医(または集中治療医)の協力は不可欠です。しかし、本症例における「直ちに診療を行う」という文脈では、心停止の根本原因である可能性が最も高い急性冠症候群の診断と治療(例:緊急PCI)を主導する診療科とは言えません。原因治療が最優先であり、その後に全身管理の専門家としての麻酔科の役割が大きくなります。
- 正解となり得る状況: 例えば、心停止の原因が薬物中毒や重症喘息発作による窒息であり、高度な気道確保技術や特殊な呼吸管理、あるいは特定の解毒療法が最優先される場合などでは、麻酔科医の早期からの積極的な関与が求められることがあります。
- (選択肢2):整形外科
- なぜ誤りか: 問題文には「前額部の挫創と右前腕の変形」という記載があり、これらは頭部外傷や右上肢の骨折・脱臼など、整形外科的な評価・治療が必要となる可能性を示唆しています。しかし、これら外傷による問題は、心肺停止という生命の危機的状況と比較すると、緊急度は明らかに低いです。心拍再開直後は、まず生命維持に関わる循環動態の安定化と、心停止の根本原因の特定・治療が最優先されます。四肢の外傷や顔面の挫創の処置は、全身状態がある程度安定し、心原性の問題に対する初期対応がなされた後に行われるのが一般的です。
- 正解となり得る状況: 例えば、高エネルギー外傷による多発外傷で、骨盤骨折や大腿骨骨折などからの大量出血による出血性ショックが心停止の原因である場合、緊急止血術や創外固定など整形外科的な介入が救命に直結することがあります。しかし、本症例は胸痛が先行しており、外傷は心停止に伴う転倒などで二次的に発生したものと考えるのが自然です。
- (選択肢3):循環器内科
- 正解のため、ここでは解説を省略します。
- (選択肢4):脳神経外科
- なぜ誤りか: 「前額部の挫創」という情報から、頭部外傷の合併を考慮する必要はあります。また、心停止による脳への低酸素状態は、脳機能障害(心拍再開後症候群の一部としての脳障害)を引き起こす可能性があります。しかし、心拍再開直後の救急外来での最優先事項は、循環の安定化と心停止の根本原因の治療です。頭部CT検査による頭蓋内病変の評価や、脳保護を目的とした管理(体温管理など)は、循環動態がある程度安定してから、あるいは心原性疾患の治療と並行して行われることが一般的です。心原性心停止が強く疑われる本症例において、直ちに診療を開始する主たる診療科として脳神経外科を第一に選択する積極的な理由はありません。
- 正解となり得る状況: 例えば、転倒・転落などによる明らかな重症頭部外傷(例:急性硬膜下血腫、脳挫傷など)が心停止の原因であるか、心停止に先行して発生したと強く疑われる場合、あるいはくも膜下出血のような脳血管障害が心電図変化や心停止を引き起こしたと判断される状況では、脳神経外科医による緊急評価・治療が最優先されることがあります。
- (選択肢5):内分泌代謝・糖尿病内科
- なぜ誤りか: 患者は「糖尿病で治療中」であり、長期的には血糖コントロールの最適化や糖尿病合併症の管理のために、内分泌代謝・糖尿病内科の関与が重要となります。糖尿病は急性冠症候群の重要なリスク因子であり 3、心拍再開後の重症管理においては血糖値のモニタリングと適切なコントロールも必要です。しかし、救急外来での「直ちに診療を行う」という観点では、生命を直接脅かしている急性冠症候群の治療が圧倒的に優先されます。重篤な糖尿病性ケトアシドーシスや高浸透圧高血糖症候群、あるいは重症低血糖が心停止の直接的な誘因となることもありますが、本症例では胸痛と心室細動という情報から、心原性の原因が最も強く示唆されます。
- 正解となり得る状況: 例えば、著しい意識障害を伴う重篤な糖尿病性ケトアシドーシスや高浸透圧高血糖症候群、あるいは遷延する重症低血糖が心停止の主たる原因であると強く疑われる場合には、内分泌代謝・糖尿病内科医による専門的な治療(輸液療法、インスリン療法、電解質補正など)が早期から必要となることがあります。
救急外来における診療科選択では、「最も生命を脅かしている病態は何か」「その病態に対して最も効果的な治療を迅速に行える専門科はどこか」という視点が重要です。本症例では、心室細動を引き起こした急性冠症候群がそれに該当し、循環器内科がその治療の中心的役割を担います。他の所見(外傷、糖尿病)は、この急性期治療の優先度を超えるものではありません。
【本症例における判断のポイントと関連知識】
この問題を正しく解き、同様の状況に適切に対応するためには、以下の思考プロセス、判断の分岐点、および関連知識が重要となります。
- 正解を導く思考プロセスと判断の分岐点
- 情報収集と初期評価の徹底: まず、問題文から得られる全ての情報を整理します。患者背景(52歳男性、糖尿病)、主訴(胸痛)、発生状況(倒れた)、救急隊到着時所見(心肺停止、VF、前額部挫創、右前腕変形)、救急隊の活動(電気ショック、現場ROSC)、搬送先(三次救急医療機関)を把握します。
- 心停止原因の最有力候補の推測: 「胸痛」「糖尿病」「心室細動」というキーワードの組み合わせから、急性冠症候群(特に急性心筋梗塞)による心原性心停止の可能性が極めて高いと判断します。これが最初の重要な分岐点です。
- ROSC後の治療優先順位の決定: 心拍が再開した後は、単に生命を維持するだけでなく、心停止の原因となった病態に対する根本治療と、心拍再開後症候群(特に脳障害と心機能障害)の管理が重要となります。本症例では、ACSに対する再灌流療法(PCIなど)による心筋救済と不整脈の再発予防が最優先事項となります。
- 適切な専門診療科の選択: ACSの診断(冠動脈造影:CAG)と治療(経皮的冠動脈インターベンション:PCI)を専門的に行うのは循環器内科です。三次救急医療機関であれば、これらの高度治療が24時間体制で迅速に提供可能であるという背景知識も判断を助けます。
- 併存する他所見の評価と優先順位付け: 前額部の挫創や右前腕の変形といった外傷性所見は、生命を直接脅かす心原性の問題と比較して優先度は低いと判断します。これらの外傷は、循環動態が安定し、心臓に対する根本治療の目処がついた後に対応するのが原則です。
- 救急現場活動における重要事項
- 観察・評価項目:
- 詳細な症状聴取: 可能であれば、胸痛の性状(締め付けられるような、圧迫されるような等)、発症様式(突然か徐々にか)、持続時間、放散痛の有無(左肩、顎、背部など)を聴取します。
- 12誘導心電図の記録と評価: 心肺停止前やROSC後には、速やかに12誘導心電図を記録し、ST上昇型心筋梗塞(STEMI)の有無を確認します。STEMIであれば、緊急PCIの絶対適応となるため、病院選定や受け入れ病院への情報提供において極めて重要な情報となります 4。VF中は波形判読が困難ですが、ROSC後は積極的に記録します。
- バイタルサインの継続的監視: 血圧、脈拍、呼吸数、SpO2、意識レベルを継続的に評価します。
- 神経学的所見: ROSC後の意識レベル(GCSなど)、瞳孔所見、麻痺の有無などを評価します。
- 処置:
- 質の高い心肺蘇生(CPR): 胸骨圧迫は「強く、速く、絶え間なく」行い、過剰換気を避けます。
- 早期の電気ショック: VFまたは無脈性心室頻拍(pulseless VT)を確認したら、可能な限り早期に電気ショックを実施します。
- 静脈路確保と薬剤投与: JRC蘇生ガイドラインに準じて、アドレナリンなどの薬剤を適切なタイミングと用量で投与します。
- ROSC後の管理: 気道確保(必要に応じて気管挿管)、適切な酸素投与(目標SpO2 94-98%)、換気補助(目標EtCO2 35-45 mmHg)を行います。低血圧に対しては輸液や昇圧薬の使用を考慮します。
- 体温管理療法(TTM)の考慮: ROSC後も昏睡状態が続く患者に対しては、体温管理療法が推奨されています 5。現場からの冷却開始も状況によっては考慮されますが、搬送遅延を招かない範囲で行います。
- 関係機関との連携:
- 早期の病院連絡と情報伝達: PCIが可能な三次救急医療機関(または地域のプロトコルで定められた施設)に対し、早期に連絡を取ります。その際、「年齢、性別、胸痛先行のCPA、VFでROSC、ACS疑い、現在のバイタルサイン、実施した処置、到着予定時刻」などの情報を的確に伝えます。これにより、病院側は循環器内科医やカテーテル室スタッフの招集など、受け入れ準備を迅速に進めることができます 7。
- スムーズな引き継ぎ: 病院到着後は、救急外来の医師や看護師に、現場状況、経過、実施した処置、患者の反応などを簡潔かつ正確に引き継ぎます。
- 救急救命士としての倫理的配慮・安全管理
- 倫理的配慮:
- 患者の尊厳の保持: どのような状況下でも、患者を一人の人間として尊重し、尊厳を傷つけないよう配慮します。
- 家族への対応: 現場に家族がいる場合は、可能な範囲で状況を説明し、精神的なサポートを試みます。ただし、最優先は患者への処置です。
- 蘇生中止の判断: 本症例ではROSCしているため直接該当しませんが、蘇生努力にもかかわらず心拍が再開しない場合、蘇生中止の判断は医師の指示や地域のプロトコルに従います。アドバンス・ケア・プランニング(ACP)に関する情報があれば、それも考慮されるべきです 8。
- 安全管理:
- 現場の安全確認: 救急活動を開始する前に、周囲の状況を確認し、救急隊員自身の安全を確保します(二次災害防止)。
- 標準予防策の徹底: 血液・体液曝露のリスクを考慮し、手袋、マスク、ゴーグルなどの個人防護具(PPE)を適切に装着します。
- 電気ショック時の安全確保: 電気ショックを行う際は、周囲の人員に離れるよう明確に指示し、誰も患者に触れていないことを確認してから通電します。
以下の表は、本症例のような状況において、各診療科が救急外来での初期対応に関与する優先順位とその理由をまとめたものです。表1:診療科選択の優先順位と根拠(本症例の場合)
診療科 | 関連する患者所見 | 救急外来での直ちに共同診療を行う優先度 | 理由・解説 |
循環器内科 | 胸痛、糖尿病、心室細動、ROSC | 高 | 心停止の根本原因である急性冠症候群(ACS)の診断(CAG)と治療(PCI)を専門的に行い、生命予後と心機能温存に直結するため。 |
麻酔科 | 心拍再開後、気道確保、呼吸・循環管理、鎮静、体温管理 | 中 | 全身状態の安定化、特に呼吸・循環管理や体温管理療法 5 の導入・維持に重要だが、ACSの根本治療が優先される。 |
脳神経外科 | 前額部挫創、心停止による脳低酸素 | 低 | 頭部外傷の評価や脳保護療法は必要に応じて行うが、心原性心停止が主たる問題であるため、循環器対応後の評価となることが多い。 |
整形外科 | 前額部挫創、右前腕変形 | 低 | 外傷の治療は必要だが、生命を直接脅かすものではなく、全身状態安定化後、またはACS治療と並行して対応。 |
内分泌代謝・糖尿病内科 | 糖尿病で治療中 | 低 | 基礎疾患としての糖尿病管理は重要だが、急性期の心停止・ACS対応が最優先。血糖コントロールは循環器や集中治療科と連携して行うことが多い。 3 |
この表からも分かるように、本症例の臨床経過と所見に基づけば、循環器内科へのコンサルテーションと共同診療が最も優先度が高いと言えます。救急救命士は、現場での的確な判断と情報収集、そして病院への適切な情報伝達を通じて、この連携をスムーズに開始させるための重要な役割を担います。
【学習の要点と応用】
この問題を解き、類似の症例に対応できるようになるためには、以下の医学的知識、関連法規、プロトコルを確実に習得し、応用力を養うことが重要です。
- 不可欠な医学的知識・プロトコル
- 急性冠症候群(ACS)の病態生理の理解:
- 症状(典型的な胸痛、非典型症状、放散痛など)。
- リスクファクター(特に糖尿病、高血圧、脂質異常症、喫煙歴、家族歴など。本症例では糖尿病が該当 3)。
- 心筋虚血から心筋壊死、そして心室細動(VF)などの致死性不整脈へ移行するメカニズムの理解 1。
- 心室細動(VF)の診断と治療の習熟:
- 心電図モニター上のVF波形の特徴の確実な認識。
- 電気ショック(除細動)の適応、エネルギー設定、パッドの適切な貼付位置、安全な実施手技。
- VFの根本原因(本症例ではACSが強く疑われる)の検索と治療の重要性の認識 1。
- 心拍再開後ケア(Post-Cardiac Arrest Care)の原則の把握:
- JRC蘇生ガイドライン 4 に基づく、体系的なアプローチの理解。
- 原因検索と治療:特に心原性が疑われる場合の緊急冠動脈造影(CAG)および経皮的冠動脈インターベンション(PCI)の適応と意義 4。
- 目標体温管理療法(TTM):適応、目標体温、管理方法の概要 5。
- 呼吸管理:適切な酸素化と換気の維持。
- 循環管理:血圧、心拍数の目標値と、輸液や循環作動薬による介入。
- 神経学的評価と予後予測。
- 三次救急医療機関の役割と機能の認識:
- 急性心筋梗塞に対する緊急PCI、重症外傷手術、脳卒中集中治療など、高度な専門治療を提供する体制。
- どのような患者を三次救急医療機関へ搬送すべきかの判断基準の理解。
- 診療科連携の重要性の理解:
- 救急外来は多くの重症患者が搬送されるため、救急科医を中心に、必要に応じて各専門診療科と迅速かつ効果的に連携する体制が不可欠であることの認識 7。
- 迅速な専門医コンサルトが患者の予後を改善し得る具体例(本症例の循環器内科へのコンサルトなど)の理解。
- さらなる学習と応用
- 学習を深めるべき領域:
- 12誘導心電図の判読スキルの向上: ST上昇型心筋梗塞(STEMI)の診断基準、責任冠動脈の推定、非典型的な虚血性変化(例:Wellens症候群、de Winter ST-T signなど)、危険な不整脈の判読能力を高める。
- ガイドラインの継続的な学習: JRC蘇生ガイドラインや日本循環器学会の急性冠症候群診療ガイドラインなどは定期的に改訂されるため、常に最新版の内容を把握し、臨床実践に活かす 3。
- 糖尿病患者における心血管疾患の特徴と管理: 糖尿病患者は無症候性心筋虚血や非典型的な症状を呈しやすく、また予後が不良である傾向があるため、特有の注意点を学ぶ。
- 心拍再開後症候群(PCAS)の病態生理と管理戦略: 脳障害、心筋機能障害、全身性炎症反応、遷延する誘因病態など、PCASの各構成要素とその対策について理解を深める。
- 応用できる考え方・知識の活用法:
- 鑑別診断の思考プロセスの習得: 心停止症例に遭遇した際、単一の原因に固執せず、考えられる原因を体系的に鑑別する(例:心原性、呼吸性、電解質異常、中毒、外傷など、いわゆるH’s and T’s)。その上で、最も可能性の高い原因に焦点を当てた観察、処置、情報収集を行う。
- 時間的切迫性の認識の徹底: 「Time is Muscle」(心筋救済)、「Time is Brain」(脳保護)の概念を常に意識し、迅速な判断と行動、適切な医療機関選定が患者の転帰を大きく左右することを肝に銘じる。
- 多発外傷と内因性疾患合併時の優先順位判断能力の養成: 本症例のように内因性疾患(ACS)が主で外傷が従である場合と、逆に重症外傷が心停止の原因である場合、あるいはその両者が複雑に絡み合っている場合の病態評価と処置の優先順位を的確に判断する訓練を積む。
- チーム医療におけるコミュニケーション能力の向上: 救急現場から病院へのスムーズな診療移行のためには、医療チームの一員として、他の医療専門職(医師、看護師、他の救急救命士など)に対して、簡潔、正確、かつ十分な情報伝達を行うコミュニケーションスキルを磨く。これは、患者の安全と治療の質を保証する上で不可欠です。
救急医療、特に心停止症例の対応は、医学知識の進歩や治療戦略の変化が速い分野です。JRC蘇生ガイドライン2020で示された、ST上昇を伴わないROSC患者に対するCAG/PCIの推奨度の変化 4 などは、常に最新の情報を学び続ける必要性を示しています。単にプロトコルを暗記するのではなく、なぜそのような対応が推奨されるのか、その背景にある病態生理やエビデンスを理解することで、より質の高い、そして応用力のある救急活動が可能となります。救急救命士は、心停止という最も緊急性の高い状況において、診断的思考(もちろん限定的ではありますが)を働かせ、初期治療を行い、適切な医療機関へ迅速に搬送するという、救命の連鎖における極めて重要な役割を担っていることを自覚し、日々の学習に励むことが期待されます。
引用文献
- 心室頻脈・心室細動 | 循環器内科の主な疾患と治療方法 – 江戸川病院, 6月 5, 2025にアクセス、 https://www.edogawa.or.jp/%E8%A8%BA%E7%99%82%E7%A7%91%E3%83%BB%E9%83%A8%E9%96%80/%E5%BE%AA%E7%92%B0%E5%99%A8%E5%86%85%E7%A7%91/%E4%B8%BB%E3%81%AA%E7%96%BE%E6%82%A3%E3%81%A8%E6%B2%BB%E7%99%82%E6%96%B9%E6%B3%95/%E5%BF%83%E5%AE%A4%E9%A0%BB%E8%84%88%E3%83%BB%E5%BF%83%E5%AE%A4%E7%B4%B0%E5%8B%95
- 心室細動 – 循環器内科.com, 6月 5, 2025にアクセス、 https://xn--v6qx2jexjd1vw1f.com/vf/
- 急性冠症候群ガイドラインの改訂点は?/日本循環器学会|CareNet.com – ケアネット, 6月 5, 2025にアクセス、 https://www.carenet.com/news/general/carenet/47827
- www.jrc-cpr.org, 6月 5, 2025にアクセス、 https://www.jrc-cpr.org/wp-content/uploads/2022/07/JRC_0047-0150_ALS.pdf
- 心停止・心拍再開後の体温管理|サーモガードシステム – 旭化成ゾールメディカル, 6月 5, 2025にアクセス、 https://www.ak-zoll.com/medical/thermo_guard/adaptation/heart.html
- 急性・慢性冠動脈疾患の診療ガイドラインを実臨床で使いこなすための一冊 – ライフサイエンス出版, 6月 5, 2025にアクセス、 https://www.lifescience.co.jp/shop2/index_0237.html
- 救命救急センター | 診療科・部門 | 日本大学病院, 6月 5, 2025にアクセス、 https://www.nihon-u.ac.jp/hospital/division/critical_care_center
- 救急医療について – 厚生労働省, 6月 5, 2025にアクセス、 https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/001094025.pdf